次世代のトップアスリートのリアルな思考を掘り下げるメディア『Cross Track』。
今回が、ドルーリー朱瑛里への取材の第三回となる。
第一回では、走ることそのものが好きで、誰かに言われる前に自分で動き始める感覚が、かなり早い段階から彼女の中にあったことを見た。
第二回では、その自己駆動が彼女を前へ進めた一方で、一人で抱え込みすぎることにもつながっていたことを追った。
では、その経験を経た今、彼女はどこへ向かおうとしているのか。
世界との差をどう見ているのか。
なぜ環境にこだわるのか。何を目指し、どんな選手でありたいのか。
第二回で見た現在地を踏まえたうえで、第三回ではその先にある将来への目線を追っていく。
世界との差は「余裕度」にある
世界との差は何か。
ケニアでの合宿を経て、彼女が見出したのは、単純なスピードや能力だけでは説明しきれない差だった。
現地で会ったのは、アグネスやフェイスといった世界のトップにいる選手たちだった。
彼女が感じたのは、人に対する接し方も含めて、どこかに余裕があることだ。
練習だけ切り取れば説明できない、人としての余白が、そのまま競技にも出ているのではないか。
そんな感覚だった。
「余裕がなかったらそこだけでいっぱいいっぱいになるし、トップの選手見てると普段の生活からも余裕はあるし、それがレースにも出てるのかなっていうのは思いますね。やっぱ心に余裕がなかったらもう何もできないから。」
心に余裕があるから練習に集中できるし、その練習が自信になって積み重なっていく。
そうして最後に、「あとはやるだけ」という境地に入れる。
第一回で見たように、ドルーリー自身も、いいレースはだいたい「やるだけ」の状態で迎えられていると言う。
だがその状態は、気合いでつくるものではない。
日々の積み重ねと、心の余裕があって初めて入れるものだ。

今シーズンの目標と、その先
そして、この話はそのまま彼女自身のこれからにもつながる。
今シーズンの一番の目標として彼女が挙げたのは、U20世界選手権でしっかり結果を残すことだった。
「今シーズンだと、U20の世界選手権でしっかりいい結果を残すことが目標ですね。一番の目標は」
その一方で、最終目標としては、かなり大きな場所を見ている。
ただ、それをあまり大きく口にしないようにもしているという。
「言ったところで結果は変わってないんで」
この感覚も、かなり彼女らしい。
願望に酔わない。
大きな目標は持つが、それを言葉の熱量だけで消費しない。
その一方で、やるからにはトップを目指したいともはっきり言う。
「やっぱやるからにはトップを目指したいかなっていうのありますね」
「突き詰めたい」
終わらない道を進みながら、唯一無二になっていく
ただ、彼女の語りは目標だけでは終わらない。
どういう競技者でありたいかと問われた時、出てきたのは「やりきる選手でありたい」という言葉だった。
さらに、「唯一無二みたいな感じの人になりたい」とも言う。
「誰かが持ってないものを持ってるとか、なんかこの選手違うなっていう」
それは、ただ理想の人物像を語っているだけではないのだと思う。
彼女にとって「やりきりたい」と「唯一無二でありたい」は、あとから整えた目標ではなく、かなり根の方にある原動力に近い。
ただ勝ちたい、ただ結果を出したい、だけではない。
自分で納得するところまでやりたい。
他の誰かの型に収まるのではなく、自分なりの仕方で前に進みたい。その感覚が、彼女をここまで動かしてきたのだと思う。
一方で、その「ありたい像」は、完成形として明確に定義されているわけでもない。
「一日一日の、全部の質を高めていくみたいな感じなんですかね」
到達点より、更新の感覚が強いのだと思う。だから、自分でも「意外と漠然としてますね」と口にする。ありたい姿が曖昧なのではない。むしろ逆で、終わりがないからこそ、ひとつの完成形に固定されない。
「やりきる」と「終わりはない」は、別の話ではないのだと思う。
どこかで完成して終わるのではなく、その時点その時点でやりきりながら、なお先を見続ける。
その感覚が彼女の中にはある。

アメリカに行くという選択
その姿勢は、「挑戦」という言葉にも表れている。
「いろんなことに挑戦していきたいですね。やっぱり、挑戦しないと何も始まらないと思うので。」
より良い環境を求めて向こうに行けば、そこで新しい出会いも視点も入ってくる。
そこには、自分が強くなるための環境や出会いがもっとあるはずだ、と。
トップになろうとする過程には、信頼できるコーチがいて、競い合える仲間がいて、いろいろな人のサポートがある。そういう環境の中でこそ、世界のトップへ近づいていくのだと彼女は考えている。
「だからこそ、環境にはこだわりたくて、自分がより良くなる環境があるんだったらまあそこに飛び込みたいなっていうので、大学も決めたりとかもあったんで」
極めるとは何か
そこまで話したうえで、「極めるとは何か」と問われた時、彼女の答えは驚くほど具体的だった。
「一日一日の質を高めていく、だと思いますね。練習にしても、食事にしても、時間の使い方にしても、何にしても結局は“質”なのかなあと思って。」
「終わりはないと思ってるんで、常に高みを目指して続けていくことなんじゃないですかね。」
到達点をひとつ置いて終わるのではない。
毎日の質を上げ続ける。終わりがないことを前提に、前へ進み続ける。
ここに、彼女の競技観も、生き方も、かなり凝縮されている。
そしてその中心にあるのは、結局は自分次第だという感覚。
自分の人生は、自分で作っていくという感覚。
そのうえで、一日一日の質を高めていく。
それが、今のドルーリーにとって「極める」ということなのだと思う。

編集後記
三回を通して最後に残ったのは、彼女の輪郭の、どこか掴みきれなさだった。
柔軟なのに、かなり現実的でもある。よく考えているのに、考えすぎて自分を固めるわけでもない。
熱のある選手なのに、どこか自分を少し外から見ているようでもある。
反対の人間が、同時に見える瞬間があるのだ。
客観なのか、達観なのか。
あるいは、それこそが彼女の言う「余裕」に近いのかもしれない。
昔から持っていたオリジナルな感覚と、苦難を乗り越えた後の自分が、今は彼女の中に同居しているのかもしれない。
ただその複雑さを貫いて最後に残るのは、走ることが好きで、どんな状況でも速くなりたいと思っている、そのまっすぐさなのだと私は感じた。
【終わり】

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