次世代のトップアスリートのリアルな思考を掘り下げるメディア『Cross Track』。
今回も前回に引き続き、女子1500mを専門とするドルーリー朱瑛里に話を聞いた。
第一回で見えてきたのは、初めから「誰かに言われて進む」タイプではなかった、ということだった。
第二回では彼女が高校で直面した、「一人でやる」ことの限界と、
そこで見出した「他者に頼る」という選択について追っていく。
一見すると真逆にも見えるこの変化に、彼女はどう向き合っていったのか。
今回は、今の彼女が何を大切にして競技を続けているのかを先に書いておき、そのうえで高校での経験をたどり、その考えがどう形づくられてきたのかを見ていきたい。
彼女が今、大切にしていること
結局は全部自分次第、でも一人ではできない
今のドルーリー朱瑛里の中には、一つはっきりした考えがある。
「結局は本当に全部自分次第なのかなっていうのは、自分の考えの中でありますね」
ただし、それは一人で抱え込む、という意味ではない。
先生やコーチに頼ること自体を否定しているわけでもない。
むしろ、絶対に一人ではできないからこそ、頼れるところは頼っていかないといけない、と彼女は言う。
「絶対に一人じゃできないんで、頼れるところは本当に頼っていかないといけないなあと思って」
頼る、とは依存することではない。
「チャンス待ってても絶対に、そのチャンスは待ってるだけじゃ来ないものとかもたくさんあると思うんで」
「本当にやりたいことはしっかり自分から言って、したい環境を自分で作っていくみたいな感じですかね」
そして、頼っても、決断まで手放すわけではない。
「決断は自分でするみたいな感じのことを大事にしてますかね」
「そこに頼っちゃうと自分の考えもなくなるし」

目標があるなら、やるだけ
さらに、今の彼女が練習で大切にしていることも、この考え方とつながっている。
「毎日の積み重ねは大事かなって思います。」
「結果に一喜一憂するのではなく、その先を見据えてっていうところが、競技人生は長いですし大事かなって思います。」
ただ、それは常に張りつめていよう、という話でもない。
「楽しんで走ってる人を応援したいって思うのは多分皆さん一緒だと思うんで。
だからこそなんか楽しんで、純粋に楽しんで走りたいなっていうのは思ってますね。」
純粋に楽しみたい、とはいっても、彼女の中にある芯まで緩いわけではない。
練習をやりたくない時はどうするのか。
そう聞き切る前に、彼女はかぶせるように答えた。
「絶対やります」
その理由も、彼女の中ではかなりはっきりしている。
「目標があったらやるだけだから。」
ここでも背景にあるのは、中学までの環境だった。
「多分もう誰かに教わるっていうことを中学校でしてなかったからじゃないですかね。今まであんまりしたことがなかったんで、必然的にそうなってたのかな。そういう環境だったから、その考えっていうか、やりたくなくてもできるしっていうことができてたのかなって思いますね。」
もし誰かに強制される環境だったら、やりたくないという感情ももっと前に出ていたかもしれない。
けれど彼女にとっては、結果を出すためには自分がやるしかなかった。
だからこそ、「結局は自分次第」という感覚が、練習への向き合い方そのものになっていった。
高校での経験
彼女の「他者に頼る」選択をしていくことは、高校での経験が形成した。
「自分でやる」へ傾いていく
きっかけの一つに、とある大会があった。
そこで、まだまだ強くならないといけないと感じ、一人で全てを抱えようになっていった。
「確信もなく何が正解かも分からないまま、そんな状況の中でただ毎日一人で全力で走っていました。それを繰り返す中で、心はなかったです。」
それでも、一度止まるという選択肢はなかった。
陸上が自分の芯にあると一度分かっていたからこそ、止まる発想自体なかった。
いくら身体も心もボロボロでも、感情を切り離したまま、ただ繰り返した。
それが、当時の日常だった。
待つのではなく、自分から環境を変えにいく
この状態がこれからも続くと考えたとき、どこかで変えなければいけないと感じた。
勇気を振り絞って少しずつ頼れる場所を増やしていった。
「まず頼れる場所を作ろうっていうので、ちょっとずつ分散みたいな感じで」
ここで重要なのは、「助けてもらった」というだけの話ではないことだ。
彼女は、自分から連絡した。自分から心を開いた。
頼れる場所を、自分で増やしにいった。
人に教わることで、初めて見えたもの
その流れの中で、ケニアとの出会いがあり、現地へ行くことになった。
「行ってから、それまでの考え方が変わりました」
それまでも自分なりに考えて取り組んでいたが、一人で完結せざるを得ない形になっていた。
ケニアを経て、人と共有しながら取り組めるようになった。
“誰かが見てくれている”という感覚が、取り組み方に新しい視点を生み出した。
人に教わるという経験自体が、それまで限られていた。
だからこそ、新しいものをそのまま受け入れられる感覚もあった。

そうして生まれた、考え方の輪郭
これは、自分でやることを捨てたという話ではない。むしろ逆だ。
一人でやることの限界を知ったからこそ、人との縁や環境の大きさも感じるようになった。
「心を開くことは別に自分の弱さを示すわけじゃなくって」
「何か変わろうと思ったらやっぱり自分でアクションを起こさないといけないし」
「自分からもっとオープンなオープンマインドで人と接したりとかしていったら、結構、道は開けてきたりするのかなとかって」
そして彼女は、この経験をただ苦しかった経験として終わらせない。
ひとつ乗り越えたこと、それ自体がこの先の人生や競技人生の土台になると見ている。
「いろんな苦しいことを多分その、自分で解決策見つけて自分で乗り越えてきたっていう経験があるから、多分それが自信になってるんですかね」
ただ、ここで外せないのは、やはり「好き」という感覚だ。
好きなことだからこそ、苦しいことも、悔しいことも多い。
楽しいだけでは終わらない。そのことは、彼女自身よく分かっている。
「好きなことだからこそ、本当に苦しいこととかもう悔しいこととか、好きだからこそたくさんあると思うですよね。だから、その苦しさがあるっていうのはちゃんと理解してて」
編集後記
一人で強くなってきた。
それは事実だ。
ただ、その強さは、一人で全部やることの正しさを証明しているわけではない。
むしろ、自分一人で進んできたからこそ、信頼できる相手や環境がどれほど重要かを、彼女は切実に分かっている。
そして今は、その環境を待っているのではなく、自分から作ろうとしている。
この変化が、ドルーリー朱瑛里の中高時代を読むうえで、いちばん重要なことだと思う。
第三回 予告
次回は、彼女が今どこを見て走っているのかを追う。
世界との差をどう見ているのか。なぜ環境にこだわるのか。最終地点はどこにあるのか。
一人では届かないことを知ったうえで、それでもなお「決めるのは自分だ」と言い切る。彼女の向かっていく先を、第三回で記していく。

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