トップアスリートの圧巻のパフォーマンス。その裏側には、結果だけを追っていては決して見えてこない、広大で緻密な世界が広がっている。彼らは何を考え、何を感じ、どのようにして極限のプレッシャーを乗り越えているのか。
次世代のトップアスリートのリアルな「思考」を掘り下げるメディア『Cross Track』。個別取材第一弾として対話したのは、大学1年にして3000m障害で日本選手権3位、アジア選手権4位という結果を残した佐々木哲だ。すでにシニアの舞台で世界と向き合っている彼は、この競技をどのように捉えているのか。
なぜ3000m障害なのか

出会い
まず、佐々木に尋ねたのは「どうして3000m障害なのか」ということだ。
「走力とハードリング、僕の強みを2つとも生かせるからだね。」
3000m障害において最も重要なのは、もちろん走力だという。ただ、走力だけで大きな差がつく種目ではない。
「僕が突出して走力が抜けてるというより、ハードリングの技術が3000障害に向いてると思ってる。」
彼は中学3年間、長距離を専門としていた。ただ、所属していたクラブチームでは、毎回のアップに30分ほどハードル練習が組み込まれていたという。長距離の練習と同じくらい、ハードルに触れる時間があった。
「そのときは、将来自分が3000障害をやるとは思ってなかったけどね。」
それでも、その積み重ねが今、確実に生きている。
3000m障害そのものの魅力について尋ねると、彼は少し笑って、こう続けた。
「ハードルだったり、水濠だったり、3000mという距離だったりっていう障害物ばっかでタフできつい競技だからこそ、競技者の本質が剥き出しになることかな」
それでも、考え続けた末に行き着いた答えは極めてシンプルだった。
「まあ結局、得意で、今まで積み重ねてきた強みが活かせるから。それ以上でも以下でもないかも。」
「やるだけ」という境地

レース時のメンタル
レース当日のメンタルについて聞いたとき、彼の返答は拍子抜けするほど端的だった。
「もう、やるだけだよ。」
自信があるか、調子がいいか。そういった問いは、彼の中ではすでに意味をなしていない。
昨年の日本選手権には、およそ半年というスパンで準備をして臨んだ。
目標が大きくなるほど準備は長く、そして念入りになる。
「それだけ時間かけてきたんだから、あとは走るだけ。」
この「やるだけ」は、気合でも開き直りでもない。
これまで積み上げてきた取り組みだけが、自然と辿り着かせた精神状態だ。
昨年は、シニア世代が集うアジア選手権にも出場した。年上で実績のある選手と走る機会も増えている。
「負けても仕方ないって気持ちが、ないとは言えない。」
まだ、本当の意味で勝ちに行く覚悟が完全に出来上がっているわけではない。その言葉は、むしろ正直だった。
けれど、彼は続ける。
「負けても失うものはない。」
チャレンジャーであること。その立場が、余計な緊張を削いでいる。
彼は今、緊張そのものを楽しめるようになった。
レース前は音楽を聴きながら、静かに気持ちを高め、緊張を“使える状態”へと変えていく。
「逆に、緊張できる瞬間を楽しんでる。胸が詰まりそうになるような感覚も、もうなかなか普段の大会では出会えないものだからさ。そういう一瞬一瞬を大事にしたい。緊張しないようにしてる、というより、それすら楽しんでる自分がいる。」
不安だったレース
では逆に、不安が大きかったレースはあったのか。そう聞くと、彼は昨年の出雲駅伝を挙げた。
「今年一番緊張したのは、出雲駅伝だね。」
駅伝はチームで走るレースだ。自分のために走る競技ではない。チームのために走る競技だ。
そう、自分の失敗が、自分だけでなくチームの失敗にもなりうるレースだ。
そして何より、彼は昨年の駅伝シーズンにおける自分自身のプロセスに全く納得できていなかった。
大学に入ってから、駅伝ではまだ納得のいく結果を残せていない。
プロセス自体にその“引っかかり”を抱えたままスタートラインに立つことの重さ。
昨年は9月の頭に30km走を行ったあと、右膝に痛みが出た。9月から10月にかけて怪我を経験し、痛みが出て休んでは走って、また休んで走ってを繰り返してしまっていた。準備不足だという自覚があった。
そしてそのまま出雲駅伝を走った。その後には骨折もあり、3週間ほど完全に休養。走り始めたと思ったら、再び膝が痛くなってしまったという。
「これ、俺の走り方の癖なんだよね。結構、長期的にヤバいかもしれない。」
9月からの3ヶ月間は、思うように練習を積むこともできていなかった。
「実は、だいぶ苦しい状況。正直、泣きたい。陸上やめたいって思う瞬間もある。」
「やるだけ」と言える状態にもっていけなければこのような思いになることは彼も同じであった。

佐々木哲の捉える、3000mSCとは?
ペース配分
3000m障害は、ハードルがある分、オーバーペースの代償が極端に大きい。
「1500mとかは、苦しいと思う前に終わることもあるし、3000mや5000mはちょっとオーバーペースになっても後半、踏ん張りどころが来て、そこで自分との勝負ができる。でも3障は、きついと思ったらそこから回復しない気がする。」
だからこそ、正確なペース配分には経験が不可欠だという。
2000mが分かれ目
水濠が外側にある場合、2000m地点に水濠がある。その水濠を越え、スタートライン付近に戻ったとき、残り2周の表示が目に入る。
「パシャーって着地した瞬間に『うわっ』って思って、そこからあと2周っていう表示を見て絶望する。気持ち的にもうだめだってなると、全部一気に崩れちゃう。」
それまでは、いけるかいけないかを判断しすぎない。最初の6周は、考えるエネルギーがもったいない。
ただ淡々とペースを刻む。頭をぼーっとさせたまま、どこまで行けるか。それが重要だという。

ポジション取りとハードリング
ぼーっと走りながらも、ポジション取りは重要だ。
「ポケットはまじでこわい。」
障害は横に広く、前を見ようとすると横に広がりやすい。だが、距離感を誤れば事故につながる。
前の選手との理想の距離は、およそ2メートル。水濠以外ではハードルに足を掛けない彼の場合、ハードリングで前に詰まりやすいからだ。距離を保てば、割り込まれるリスクもある。
一方で、詰めすぎれば、つまずいた瞬間に本当に頭から倒れる。
彼にとって、ポジション取りは常に危険と隣り合わせの判断だ。
前で合わせ、嫌なところで仕掛ける
彼の強みは、ハードリングにある。右足が利き足で、右足になるときは足を掛けない跳躍をして、左になるときは足を掛ける。水濠では利き足でも足を掛けて処理する。
ハードル間の歩数は固定されていない。右で飛ぶために距離感から歩数を計算し、リズムを合わせる。微妙なときは一歩減らし、大きく踏み出して合わせにいく。
足を掛けないことで動作はスムーズになるが、その分体力は消費する。掛ける・掛けないをどう組み合わせるかは、今も課題だという。
勝負どころについて彼は、ラスト600mだという。
残り1周半のバックストレート。ゴールまではまだ距離があり、水濠も残っている。多くの選手が精神的にきつくなる地点だ。
「自分はラストスプリント型じゃない。自分が嫌だなと思うところで、“あえて”仕掛ける。」
2024年のインターハイでもそれによって優勝を手繰り寄せた。
番外編|足を掛けないハードリング

足をかけずにハードリングするのは、世界の選手や日本のトップ勢のみだと言う。
その動きは、どのように身につけたのか。
「できるようになったというより、やってみたらいけたって感じ。」
高校2年のとき、試しに足を掛けずに飛んでみたら、意外とうまくいった。
当時の練習環境は、土のクロスカントリーコースだった。
アップダウンのある坂に障害を置き、毎週のように飛ぶ。
砂に埋もれる地面では、細かく調整するより、一気に踏み込んだ方が楽だった。
「高さを調整してやるのが、めんどくさくて。だったら一歩で行った方がいいと思って。」
そうした環境と試行錯誤が、今のスタイルにつながった。
編集後記
3000m障害は、命を懸けて走る競技だ。だからこそ、余計な雑念が入りやすい。
スペースが欲しい。最後まで余力を残したい。ここで行くのは怖い。そうした自然な感情を、彼は否定しない。
むしろ、それを逆手に取る。
2000mまでは、あえて何も考えない。強気にハードリングを重ね、最後は相手が嫌がるタイミングを狙う。
本質のみに思考の的を絞っていく。その到達点が、「やるだけ」という言葉なのだと、私は感じた。
そこには、彼自身の猪突猛進的な人間性も、確かに影響しているのだろう。
次回予告
トラックから駅伝への移行期、佐々木哲は、その切り替えのたびに一度落ちる。腐って、立ち止まる。
しかし彼にとっては、むしろそこがスタート地点なのかもしれない。
第二回では、彼が「落ちる時間」とどう向き合い、そこから「やるだけ」に至るまでの「前進」について描く。

コメント